正病狂陰寒気 | だらだらしてみる。

正病狂陰寒気

最近寒いね。

複雑すぎだと思う。
放っておいて、ブラックボックスにしといて過ごしていくのがラクチンだとは思うのですが。勝手に突き詰めて勝手に複雑扱いしている感も否めないんだけど。
ある程度で折り合いつけてやってかないと生きてけないという意識はあるんだけど、実践できていないようです。

なんのこっちゃって感じですけども、すべてに対して。
たとえば。この動かないモニタをばらしてみてインバータがオカシイっぽいと。じゃあ交換すりゃいいじゃんって話なんだけど、一体それが何であって、どうい う仕組みで動いて、どうして必要であって、みたいにどんどん進んで、「インバータ交換するだけで済む話」だったのに変な方向へ。変な方に行くうちに本来の 目的が何だったのかわかんなくなっちゃって。
簡単に息しちゃってるし出来ちゃってるわけだけど、どうやってやってるのか、どうしてやってるのかわからないわけです。それを知る事はさほど大変ではない と思います。何でもそうなんだけど、受け入れる事が難い。結局のところ「そう信じられている」「そうだと思われている」んであって、他人の知識や意見なわ けで。自分で確かめたわけじゃないモノゴトの方が多い。「そういうもんなんだ」って、悪く言えば「なあなあ」にするのがラクチンなんだけども。自分の中で すら「そういうもんらしい」としかモノゴトを捉えられない状態なのです。本当に何か確かなものがあるのか。

すごくイミフだと思うんだけどゴチャゴチャしてるのかカラッポなのか分からん頭の中はこんな感じ。

AとBって二つのものを作るときに、片方出来上がってからもう一方に移るのか、並行作業でやっていくのか、どっちがいいんだろうか。そりゃ状況によるけどさ。
何かを表す手段の一つとして言葉があるわけだけども、意図したモノをまったくそのまま投影することはやっぱ出来ない。ちゅうかあれじゃん。何のために表現をするんだろうか。他ありき、なのかなー。
欲求や意思ってのはどうして出てくるんだろうかね。脳みそって怖いですね。
S.A.Cか2ndG.I.Gかどっちかで、タチコマに個性が現れたけども、それが自然発生したのか天然オイルによる影響なのか、って話ってあったっけ? 実際のところどうなんだろうか。そもそも同一のモノってのはあるんだろうか。変化しないモノ。あれば嬉しいけど、無いだろ、たぶん。刹那を切り取って恒久 的に取っておけたら、と思ったけどもそれはただの偶像であって慰めぐらいにしかならない。なにかこう、絶対的なものが欲しいわけです。的はいらないか。そ れを自分の中にセット出来ない以上、何をするにしても気が乗らない。
要は神様的なものが欲しいわけだけどもそれが見つからんわけです。他人の神様は受け入れられないし。だってお前は僕じゃない。
不思議なんだけどさ、どうして教団とかって出来るんだろうね。利権関係?言葉や現象やらの解釈方法が他人によって異なるのであれば、群れる理由が分からな い。お前の見ている緑色と俺の見ている緑色は同じと言えるのか!って話でもあるけれど。自身の安寧は自身によってしか得られえないと思うのですが。それが どういう形にせよ。
で、順番にやっていく人間っぽいのよ僕は。AからBへときっちり順番に。Aが終わんないとBが出来ないんだよ。でも、Aの終わる兆しが無い。つうことで異常に社会性に欠けてる今。めまいがするわ。

理を解くってのは可能なんだろうか。

言葉ってのをいけすかねえと思いながらもそれに頼らざるを得ない事実ってのにちょっとむかっ腹。

終わり。